ネット上にもいろんなお絵かきツールがありますが
スティッカムはまだ良くわかんないです。絵を描くということに限ってるわけではなくライブカメラでも良くて、とにかく映像の発信というのがメインなんですよね?チャットも出来たりコメント入れられたりいろいろ機能がありますね。音楽も付けたりできるようですが 版権どうなってるのかな やってみないと確かめられないけどそこまでネットに溺れたくないような<使いこなせれば溺れることなどないけれどもね


さてdrawr(このスペルの覚えにくさといったら! どこまで年寄りをいじめたら気が済むんだネット社会)。

[drawr] みと - 2009-10-14 13:35:40
↑チビ島村。

絵の左上スミに再生ボタンが出現しますよ。
最初のぐちゃぐちゃーというのは何描くか決めてなかったのでためしがきしてるとこです。すみません。
お絵かき工程の再生というと やはり紙芝居あるいはアニメーション的な使い方を狙うのが筋でしょうが(お絵かき掲示板で以前よくやってました)疲れるので今は、やってません。
↑…というより ネタが浮かばないだけなんですよ結局ネ!


◆何を言っても100万1回目

作品が作品なだけに、きっとこういう意見とかおもいつきなんてのはとっくに誰かがかいてたりするもんですよ。100万回くらい。だからこれは100万1回目ってことです。


平成版を見てると思うこと。
このジョーは父性愛を豊かに受けて育ってるんかなあ ということ。


ジョーはマザコンザコンってよく言われるようです。確かに原作では母性を求める傾向が強いです。味わったことがない母性愛、あるいは記憶がないか、希薄ながらあるのか?求めるだけでなくて支えにさえなっているシーンがあるところを見るとおぼろげには母の記憶があるのかも。(タダの願望の映像化が固定しただけかもしれないけどね)
平成版は、母と赤ちゃんの頃に死別し、その後はずっと神父様に育てられ教会で暮らしていた という設定です。
そのせいか、あまり母性を求める部分は少なかったかなあと思います。(幼少時のラクガキシーンなどは思い切りそういうシーンですが、18歳の島村君はおかーさんおかーさん言ってないよねってことで。)
あんまり優しいキャラ立てなので、それやっちゃうとモノホンに見えるからかなあ(笑)
と言う冗談はさておき
原作や前作では皆無だったジョーにとっての父の存在が平成版では相当濃くあるのが実は興味深い部分です
人格にゆがみが少ない(というかフツーに円満志向)のはそういう、愛情をちゃんと受けて育ちましたよ っていう生い立ちがあるからなのかな?なんて考えを抱いてしまうんですよ。
神父様!っていうのを英語ではふぁーざー!って言ってるですよね。まあそれはそういう呼び名なんだから当然なんだけども
曲がりなりにも母より父を呼ぶことが遥かに多い人生だったわけで、
エピソードにもあまり母性を求めるようなモノは入ってきて無かったのも脱マザコンを父を据えることで図ったのかなあ?とか。
じゃあ作品中にそういう父的なものからの精神的な支えとかの表現があったかというと、残念ながらあまりない。(優しく諭すもグーでなぐられるふぁーざー っていうシーンはあったけど。)
「世話になった」的な言い方しかしないところを見るとあまり濃いつながりを感じていなかったのかも。
あと、ひとエピソード欲しかったね〜 ジョーの精神的支えになるような神父様との交流シーンみたいなのんが。そうすると、ぐっとジョーの頼もしい味わいが出てくるんだけども。

ジョーに父性の裏打ちは必要ない って言われそうなのでこの辺で終了。

あ、「星祭り」てのがあったな!うーん、大マヌケなワシ。それはそれで母性への飢えはめでたくなんとかなってる平成島村君という印象はかわらんですけれども。